京都の西陣織を使った和雑貨ブランドAtelier Kyoto Nishijin(アトリエキョウトニシジン)を立ち上げた者として簡単ではありますが、西陣織について書きたいと思います。ただ私も織物業界に居た身ではありますが、たった10年ほどですのでそこまで詳しい訳ではありませんし、ひょとしたら間違えて覚えてしまっている部分もあるかと思います、参考程度に見て頂ければ幸いです。出来るだけ分かりやすく自分なりの言葉で説明していきたいと思います。
織物に詳しくない方は漢字で戸惑われるかもしれません、判りやすく記載しておきます。
タテ糸・・・経糸(タテイト)
ヨコ糸・・・緯糸(ヨコイト・ヌキイトとも)
目次
西陣織とは
西陣織(にしじんおり)とは、京都の先染め織物をまとめた呼び名である。 錦、緞子、朱珍、絣、紬などの多彩な糸を用いた先染めによる高級絹織物。
*wikipediaより転載
判りやすく言うと糸から染めたシルク糸を使って織った絹織物の総称です。私が生地を依頼している機屋もシルク糸だけで500色位の糸を常時持っています。赤色をとってみても色々な赤がありイメージ通りの生地に仕上げる事が出来ますが、織上がりを想像しながら配色するのはなかなか難しい作業です。働いていた当時、「我々が扱っている生地はこれ以上ない最高級のものやで」と教えて頂いたのを非常に良く覚えています。
昭和51年2月26日に国の伝統工芸品に指定されました。
厳密に言うと西陣織として国から定められている品種は全12種類のみです。ここでは簡単にしか書きません(すいません私には書けません)が気になった方は西陣織工業組合様のサイトご覧ください。多分そこ以上に詳しい所はないと思います。
西陣織の伝統工芸品種12種
綴(つづれ)
緯糸で経糸を包むように織る技法です、経糸に比べて太い緯糸で包むように織り上げるので、出来上がった生地は経糸が見えません。
織組織的には非常にシンプルな織り方になります。
経錦(たてにしき)
経錦というだけあって経糸で錦織を織った織物の総称です、経糸で模様を出していくので、色が増えれば増えるほど経色が増えて複雑になっていきます。色とりどりで美しい錦から来ています、後染めや刺繍などの技法を使わず、先染めのみで色鮮やかに織り上げた織物。
緯錦(ぬきにしき)
こちらは経錦と変わって緯糸で錦を織った織物の総称です、錦は中国から伝えられたと言われており非常に古く歴史ある織りです。
緞子(どんす)
繻子織(しゅすおり、サテン地の事)に近い織り方の織物の総称です、経糸が表面に出る場合と緯糸が表面に出る場合と二種類あります。糸と糸の接点が見えないように織るので、表面が滑らかで発色が美しい織上がりになります。
朱珍(しゅちん)
緞子に良く似た織り方ですが、緞子と違う点は地上げ紋が無いという点です、地上げ紋の説明が非常に難しいのですが、表面に出る糸を浮いた様に見せる為に地上げすると言うのですが、それが無いという事です。緞子ほど表面に糸が出ているように見えないです。
紹巴(しょうは)
経糸・緯糸ともに強撚糸を使った織物の総称です。撚糸した糸を使うので、表面はサラッとした軽い手触りです。ちりめんとかジョーゼットみたいな感じと言えば判りやすいでしょうか?
*強撚糸・・・糸を撚る時に通常よりも強めの撚りをかけたもの、糸が強くシャリ感が出ます
風通(ふうつう)
通常織物の断面は1つですが、織り方によって2層・3層の織物も出来るんです。勿論完全に別れている訳ではありませんが部分的に2重・3重になった織物です。表裏の模様が同じで色が反転して出てきます、両面錦・両面織とも言われています。3重ともなると表・真ん中・裏ととても複雑な織物になります。
綟り織り(もみじおり)
別名搦み織(からみおり)とも言います。隙間の空いた目の粗い織物で、カーテンや蚊帳などイメージしてもらったら判りやすいかなと思います。紗織(しゃおり)と絽織(ろおり)の二種類あり、絽織の方が少し目の詰まった織物になります。
本しぼ織り(ほんしぼおり)
撚糸をかけた経糸・緯糸を使って織り上げた後にぬるま湯で揉んで表面にしぼ(凹凸)を出した織物の総称です。縮緬(ちりめん)やお召などが有名です。京友禅にはなくてはならない技法です。余談ですが、お召織物が「お召しになる」の語源になったとか。
ビロード(びろーど)
ベルベットの事です、西陣のビロードは有線ビロードと言って緯に針金を織り込み、後から抜いて起毛するやり方です。良く別珍と混同されますが、別の物です、見た目はほぼ一緒ですが(笑)上杉謙信のマントがこのビロードで作られている日本最古のものだそうです。
絣織(かすりおり)
糸の段階で部分的に染めて、織り上げて模様を完成させる織物の総称です。経絣と緯絣と経緯絣とあります。かっちりした模様から淡い色合いに仕上げたものなど変化に富んだ見た目になります。
紬(つむぎ)
手で紡いだ真綿を使って手機で織られた織物の総称です。綿となっていますが、絹の事です。木綿の生産が始まるまで綿といえば真綿の事を指していたそうです。例外的に木綿で作られたものも紬と呼ぶことがあります。
以上が伝統工芸品として指定されている12品種になります。
改めて記事にするのに色々調べましたが、難しいです・・・自分なりの言葉で判りやすく書いたつもりですが、間違った箇所等あれば連絡頂けると嬉しいです。
西陣とはどこの事?
西陣とはどの辺りかを指すのでしょうか。京都にお住いの方は知っていると思いますが、実は京都に西陣地区と明確にここからここまでとは指定されてはいません。だいたい目安として京都の北西部、区で言うと北区・上京区辺りになります。(私が以前勤めていた会社も北区でした)。下の画像が大体の西陣地区の範囲になります、余り大きい範囲ではないのが判って頂けるかと思います。
またこの地区に会社を構えていないと西陣織と名乗れないのかと言えばそうではありません、この地区以外にも西陣織に携わっておられる所が勿論あります。ただこの色で囲った範囲にはかなり多くの業者さんが社を構えていらっしゃいます。
何故西陣は陣と言うのでしょうか?
それは室町時代に起こった応仁の乱(1467~1477まで)が終わった後に各地に散らばっていた織物職人が、ちょうど西軍の陣地が置かれていた場所で織物業を再開していったからだと言われています。元々京都は織物で栄えていましたが、この頃から西陣と呼ばれるようになったと言われています。今から約500年位前ですので相当な歴史がありますね。
西陣と呼ばれる以前にも京都は織物の町として発展していましたが、その起源は宮廷の織物作りからとされています。ちょうど平安建都された時に「織部司」という役所がおかれて、織物職人たちに宮廷向けの高級な織物造りを奨励したからとされています。1994年には平安建都1200年とか言われていたので、約1200年前からという事になりますね。そこから今に至って様々な技法が伝えられているのです。多分今に伝わっていない技術もあるのではないかと思います、今残っている伝統の技術を次の時代に残す為に少しでも力になれればと思います。
近代の技術をいち早く取り入れた西陣
どんな産業にも栄枯盛衰、繁栄する時と衰退する時が来ると思いますが、西陣も例外では無かったようです。
江戸時代の度重なる飢饉や幕府からの奢侈禁止令(しゃしきんしれい、贅沢すんな!って命令です)などで需要が減ってしまいます。これは今の時代にも少し重なって見えますね、アパレル業界は一応衣食住の衣に入ると思いますが、経済の先が見えない不安定な今、どれを控えるかと言ったら真っ先に衣ではないでしょうか・・・
そして江戸が東京になり都が東京に移されたのも衰退していく一因であったようです。
しかし同時に文明開化が浸透していった世の中で、1872年に西陣の発展の為にと人材を3名フランスへ派遣します。そしてジャカード織物の技術を持ち帰り近代化に成功したと言われています。それから3年後の1875年頃国産初のジャカード織物が誕生したと言われています。その結果手機(てばた)では出来なかった幾多の織物を完成させて量産に成功、今に至り西陣の織物は日本の最高峰の一つとして知られています。
ついに明治に入りジャカード織機の登場です、Atelier Kyoto Nishijin(アトリエキョウトニシジン)で扱っている西陣織は全てジャカード織機による物です。上の方で伝統工芸品種12種類を紹介しましたが、それまでは出来なかった織り方をジャカード織機では出来るようになり、皆さんがご存じの様に高級織物と言えば西陣織とまで言われるまで発展していきました。そして現代においては伝統的な着物や帯地は勿論の事、ネクタイやショール・ストールなどのネックウェアから和装小物など幅広く使われ親しまれています。
Atelier Kyoto Nishijin(アトリエキョウトニシジン)では京都で生まれた西陣織を使ったお洒落な和雑貨ブランドとして、日本製の素晴らしさを皆様に再発見して頂けるよう日々努力していきたいと思います。是非一度お使い頂き感想など聞かせて頂ければ嬉しく思います。
宜しくお願い致します。